お盆とオミナエシ草(女郎花)

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子供の頃ですが、毎年お盆か近づくとおふくろが、山へ行って仏様へ飾る花を、採って来てくれと言います
昔は何でも、盆と正月と言って、一年の前半、後半の、区切りの様なものでした。
私の家は炭焼きを本業にしていました。(村の中には、冬だけ炭焼きをする家が五,六軒在りましたが)。その為、盆や正月が近づくと、そりゃ何かと忙しかったに違いないと思います。なにせ幾人かの人を、雇っての炭焼きですから、全てが前半期の決算ですね。
近くの酒屋、道具屋、と、お袋は、その人達の清算やら盆の支度やらで、てんやわんやだったと思います。
子供心にも、そんな母の手伝いになればと、言われるままに、鎌を持ち出し山の方に、向かいました。
直ぐ下の妹を連れていたと思います。何をするにも、二人だけの兄弟でしたから、いつも一緒だったはずです。
とにかく山の方に向かうと一面真黄黄で、まるで黄色い海のようでした。
それが女郎花(オミナエシ)です。
お花畑の中を、子供たちが、飛び跳ねる光景は、想像するだけで、とても素晴らしいですね。
そしてそれが今は、一本も一輪もありません。
なぜあんなに沢山あったのでしょう。そして何故絶滅したのでしょう。
最近はわずかですが、お庭の片隅に少しばかり植えてあるのを見るくらいです。もちろん野山にはありません。
ポレポレの丘でも、増やしていますが、どうしてこんなに気難しい花になってしまったのかと思います。
そのオミナエシを両手で抱えるほど採って帰ると、母はこの量が当たり前だと言わんばかりに、大きなバケツに水を入れて、全部飾りました。
でも、その中にキキョウや、ユリなどがあると良く採れたなあと、とても誉めてくれました。
お盆が終わると、バケツの周りが、真黄黄でした。

今のオシャレなお母さん達にはあまり好かれないかもね。
この年になっても、こんなに女郎花のことと、母親の輝いていた顔を思い出します。

(自費出版本「ポレポレの丘奮闘記」より抜粋)

(ポレポレの丘 7月開花)

2016-08-14-08.35

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